gakushu - 1844、岩窟王、仏新聞に連載開始
1844、岩窟王、仏新聞に連載開始
- 2016-8-19 16:27
(NHK20160625)
【1815】
ナポレオンのエルバ島脱出、
100日天下。
【1830】
フランス7月革命。
1815年の王政復古で復活したブルボン朝は再び打倒された。
ウィーン体制により構築された正統主義は部分的に崩壊し、
ブルジョワジーの推すルイ・フィリップが王位に就いた。
その影響はヨーロッパ各地に波及し、ウィーン体制を揺るがせた。
とりわけ、旧貴族がフランス革命の際に被害を受けた城館(シャトー)
の代償のために10億フランの資金を国庫負担にする法律の制定は、
市民階級の不満を高めた。
国王は驚き、七月勅令の破棄と内閣総辞職を決めたが、時すでに遅かった。
ギロチンを怖れる国王シャルル10世は退位し、オーストリアに亡命。
後継政府には「国民王」ルイ・フィリップが立った。
ここにフランスは立憲君主制に移行した(7月王政)。
ブルボン家の支流であるオルレアン家のルイ・フィリップは
別名「株屋の王」であり「ブルジョワの王」であったため、
市民たるブルジョワジーの不満は急速に解消されていった。
ヴィクトル・ユーゴーによれば、
「フィリップ王はあらゆる階級の言葉に通じ、
それを常に話していた。最もよくブルジョワ(中流社会)を
代表した人物であったが、また一方でそれより抜きん出て
万事にそれよりも優れていた」という。
1793、父は共和国転覆の嫌疑で革命広場で処刑、スイスへ亡命し
教師になり米国移住し、ナポレオン失脚の1814に帰国。
詳細→YouTube: N I
1830、アルジェリア出兵、併合
1838、菓子戦争を起こしてメキシコ勝利
1840、ロンドン条約、アジア外交が列強に干渉される
1844、清国に不平等条約
1847、鎖国のインドシナに砲撃
1848、1846年以来の恐慌もあり「諸国民の春」革命で失脚
1848、フランス王政の終了(987年カペー朝)