gakushu - 1183、朝廷が幕府に「東国支配権」を承認
1183、朝廷が幕府に「東国支配権」を承認
- 2016-10-27 3:02
(NHK20140628)
百代の王。数えて百代の天皇。
平安時代末期・鎌倉時代、天皇は
百代で尽きるという百王説が広まった。
1180、以仁王の令旨:
治承・寿永の乱(源平合戦)の際に
諸国の源氏に挙兵を命じるために以仁王が発した
「清盛法師ならびに宗盛らは威勢をもって、
凶徒を起こし 国家を滅ぼす。百官・万民を悩乱し
五畿七道を慮掠す。あるいは諸寺の高僧を召しこめ、
修学の僧徒を禁獄す。あるいは叡岳の絹米を給い下し、
謀反の糧米を相具す。
百王の跡を断ち一人の頭を切る。
帝皇に違逆し仏法を破滅す。古代を絶つ者なり。
よって吾は一院(後白河法皇)の第二皇子として、
天武天皇の旧儀を尋ね、 王位推取の輩を追討し、
上宮太子(聖徳太子)の古跡を訪ねて、
仏法破滅の類を打ち亡ぼさんや。
しからばすなわち源氏の人、藤氏の人、
兼ねて三道諸国の間、堪える勇士は、
同じく与力し追討をせしむ
もし勝功あるにおいては、 まず諸国の使節に預かり、
御即位の後、必ず乞いに随い勧賞を賜うべきなり」
1220、愚管抄:
「神武天皇の御後、百王ときこゆる、
すでにのこりすくなく八十四代にも
成りにけるなかに」