gakushu - 1008、紫式部の頃の・・・。
1008、紫式部の頃の・・・。
- 2017-2-21 0:46
(日テレ20170211)
真宗(しんそう)は、
北宋の第3代皇帝(997 - 1022)
1012年、
福建路で栽培されていた占城稲(チャンパ米)を江南各地に広めた。
風水害に強く短期間で栽培可能な占城稲の普及は、
江南以南の地域における二毛作や二期作を可能とし、
農業生産を飛躍的に増加させた。
後世「蘇湖(湖北省・湖南省)熟すれば天下足る」
「蘇常熟すれば天下足る」と称される。
太宗の方針を受け継ぎ、文治主義を推進したが、
その結果として軍事力の弱体化を招いた。
西夏と同盟(999)した契丹による南征を受ける。
宋は西夏との軍事的緊張もあることから
契丹にのみ大軍を用いることの不利を理解し、
宋が兄・契丹が弟の礼をもって
付き合うこととなった。
戦後賠償の金額を尋ねられた使者が
指3本を出したのを見て、真宗は
300万かと思って驚いたが、30万と
聞かされて安心したという話が残っている。
この和議は西夏との関係にも影響を与える。
西夏は独力で宋に対抗することの限界を理解し、
宋との和議が結ばれている。
主成分である延胡索は、もともと玄胡索という名前だったが
玄は宗の真宗皇帝のオクリナなので玄を使用してはいけないということで、
玄を延にあらため延胡索と呼ばれるように。
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