gakushu - 1858、伊藤博文上京
1858、伊藤博文上京
- 2015-8-2 19:34
(NHK20150312)
明治34(1901)から36年にかけての2年半にわたって存在した
肥料鉱物調査所は、恒藤規隆の執念による功績が大きい…
リン意外の肥料要素としてはカリウムと窒素がある。
カリ肥料が用いられるようになったのは1856年、
ドイツのシュタッスフノレトで初めて立坑が掘られ
カリウムとマグネシウムに富む岩塩が発見されてから。
カリが植物栄養素として重要であることが分かり1861年
にカリを岩塩から分離する最初の塩化カリ工場が
シュタッスフノレトに建設された。
窒素は排せつ物やグアノから求められて来たが
これだけでは世界の耕地の増大に対してとうてい
需用を満たすことが出来ないのは明らかで
19世紀の末から窒素の問題が論議され空中窒素の固定
についての研究が強く刺激された。
1906の石灰窒素の工業化、
1913のハーバー・ボッシュによる合成硫安の工業化
成功とその解決は20世紀に持ち越された.
新しく発足した明治政府は幕末に引きつづき
開拓使・内務省・工部省と早くから鉱業方面には
技術導入を計っていたが農業については
主に従来の豪農の技術にで農村を指導させた。
外国人農学者の招へいによって明治5年、
開拓使仮学校が芝増上寺境内に開かれ
明治11(1878)に東京郊外駒場に駒場農学校を設置。
当時東京大学に居たナウマンらは、地質調査所
の設立を求め地質課が設けられた。明治12年に
ナウマンは地質調査の意見書を内務卿伊藤博文に
提出した。これは地質課の遅々とした歩みを憂慮
したためと言われる(地質測量之儀二代伺)