gakushu - 1907、東京
1907、東京
- 2015-8-2 19:55
(NHK20141019)
1880年代のアメリカの証券引受は、個人銀行が中心だった。
1893年恐慌で、個人銀行が撤退し、3大生保が躍進。
1905、コングロマリット化しロシア皇帝にまで
3大生保の資金が及んだため、米国権益保全と
肥大化を続ける3大生保会社に行動制限を図るべく
法律が制定された。
結果的に3大生保が持っていた鉄道鉱山株はモルガンや
ロックフェラーに移り、結果的に全米資金がドイツ帝国
へ投下されてゆく。
1906、1月、ジャイコブ・シフ「もしアメリカ通貨制度が
改められなければ、遅かれ早かれ、これまでの恐慌があたかも
児戯にみえるようなとてつもない恐慌に見舞われるだろう」
1906、4月発生のサンフランシスコ地震復興のため、
NYから西海岸に資金が流れ始める
1906、7月から行政が鉄道運賃を設定できることとなり、
資本家の撤退で鉄道や鉱山株が急落
1907、自転車操業方式で金融界を成り上がるモースと
鉱山王ハインツが結託し銅会社の株価操作を
図ったが失敗、暴落。工作資金提供を断った
ニッカポッカ信託会社だったが主犯のふたりと
親睦があったことから取り付け騒ぎに発展、倒産。
1893恐慌で信頼を得ていたモルガンが音頭を取り、
モルガンが1000万ドル
連邦政府が国庫金を2500万、
ロックフェラーが1000万ドル(2020現在の300億円に相当)
を、「資金流動性を確保するため」出資した。
翌10/23木、さらに2000万ドルモルガンは用意し、
マスコミを前に「預けたままにしとけば収まるんだよ」
とコメント。
翌10/24金、さらに1000万ドル供給し破綻ゼロ。
翌週、2000万ドルないとNY市が破綻すると分かり、
モルガンのポケットマネーで3000万ドル市債購入。
ようやく市場は落ち着き始めた。
のちに連邦準備銀行設立へとつながってゆく。
|