gakushu - BC960、ソロモン審判と大岡裁き
BC960、ソロモン審判と大岡裁き
- 2019-5-15 0:37
(TV東京20190220)
ソロモンはヘブライ人を統合して成立した、
ヘブライ王国の王3代目。ダヴィデ王の子。
エジプトのファラオの娘を王妃に迎え、また
フェニキア人のティルスと同盟を結び、
フェニキア人の交易活動を保護して
オリエントの大動脈を抑え、周辺諸国との交易で
巨富を築き、「ソロモンの栄華」と言われた。
カルタゴ国の栄枯盛衰(BC814建国) :
もともとはレバノンを拠点に栄えたフェニキア人が作った植民都市。
レバノンで主神メルカルトの神官の妻だったディードーが、
夫をディードーの兄ピグマリオンに殺され、
逃げてきたのが現在のチュニジアの突端。
岬に上陸すると1頭の牛の皮で覆うだけの土地を求めた。
岬の住人が承知をすると、細く切った皮で紐を作って土地を囲い、
丘全体を手に入れる。この丘はギリシア語で「皮」を意味する
ビュルサと呼ばれるようになった。のちに都市の建設が始まる。
皮で囲まれた土地については、地代としてアフリカ人へ貢租を
支払うことになり、前5世紀まで支払いが続いたとされる。
BC600、
エジプトのファラオ「ネコ2世」の命を受けたフェニキア人は、
紅海から出港し、喜望峰を経て、時計回りに
アフリカ大陸を一周し、3年目にエジプトに帰ってきた
(ヘロドトス著『歴史』)
詳細→YouTube: デンリュウ
BC540、
北アフリカ一帯を支配したカルタゴは、
コルシカ海戦に勝利しシチリア半島を支配。
BC480、シチリアでシラクサに大敗し貴族政から共和制に移行。
BC410、金銀産地のイベリア半島を失う。
詳細→YouTube:あたまんじゅう
BC221、
カルタゴ将軍にハンニバルが26歳で就任。
イベリア半島の未開地を拠点に象を引き連れて
アルプス越えてイタリアローマに進軍。
連戦連勝を重ね、現在のチュニジアの紙幣の肖像。
BC146、
カルタゴ滅亡。カルタゴの土地には雑草一本すら
生えることを許さないという意味で塩がまかれたという。
詳細→YouTube: Flash Point History
BC45、
ローマ皇帝カエサルがカルタゴ拓殖計画、
失業者と退役兵を植民。ローマ第二の都市に。
1830、仏がアルジェリア進出。
1842、仏が隣国チュニジアを直轄地にする。
1869、チュニジアが財政破綻で英仏伊の管理下に。
1870、スペイン王位継承問題。
プロイセン王分家シグマリンゲンが候補に。仏が拒否。
→普仏戦争へ。
1871、普モルトケ将軍に仏敗退。伊がチュニジア進出。
1878、ベルリン会議で仏がチュニジア権利を獲得。
1881、仏がチュニジアを占領。
1882、伊が反発、包囲網で3国同盟(普オーストリア伊)結成。
1890、普ビスマルク辞任、普露が疎遠に。
1894、統一独の新皇帝、3B鉄道開拓政策で植民地事業に野心。
1902、日英同盟
1904、長年の宿敵・フランスと英仏協商
1905、日露戦争で露弱体化。
1907、英仏露で3国協商→日本の大陸鉄道計画を容認。
1914、3国同盟vs3国協商、が激化し第一次世界大戦へ。
2020、独潜水艦Uボートによって沈没した仏軍艦を、カルタゴのダイバースクール生が発見