gakushu - 中高_歴史_1200カテゴリのエントリ
(NHK20140808)
シエナの年代記:
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父親は子供を,妻は夫を,兄弟たちは
お互いを見放しました。何故なら,
この病気は,呼吸しただけ,
目で見ただけでもうつったからです。
そのようにした者は死にました。
家人ができる最上のことは,死者を
溝に投げ捨てることでした。お祈りを
する人もなしにです。死者を弔う鐘は
鳴りませんでした。
この年代記を書いているわたくし,
アニョーロ・ディ・トゥーラも,
わたくし自身の手で,わが子
五人を埋めました。
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(NHK20180602)
13世紀末,封建社会は全盛期を迎え,
封建地代は高水準に達し生産効率を無視し,
周辺地までが開墾され,これを耕作するため,
人口は最大限までに膨張した。
しかし,生産力ぎりぎりまで伸びているため,
ちょっとした天候不順や不作でも,大規模な飢饉の原因となった。
(立命館名誉教授:瀬原義生)
『ヘンゼルとグレーテル』:
グリム童話に収録されている作品。
長く続いた飢饉で困った親が
口減らしのために子捨てをする話。
中世ヨーロッパの大飢饉(1315年から1317年)
の記憶を伝える話と言われる。
詳細→YouTube:Paramount
1315年のヨーロッパは農作物の生産能力
に比して人口過剰の状態にあった。
1328年国勢調査ではkm2あたり50-70人、
これは今日の農村部の密度より高い。
17世紀のルイ14世の時代よりも多かった。
1316年、英国で小麦が6倍に高騰。人口5%減。
1333年、スペイン・ポルトガルも飢饉。
1347年、イタリアでも農民が穀物倉を襲った。
ジョルジュ・ミノワ「中世の歴史」
(NHK20180530)
(TV東京20190112)
(NHK20181215)
1204年、ベネチアが地中海東部の制海権を掌握、
ベネチア41代元首エンリコダンドロ。
(フジTV20190309)
ヨーロッパの神判はフランク族を起点とされ、
史料では510年に見られる。神判の広がりは、
キリスト教布教の広がりと一致するところが大きい。
時代がくだると、教会内部でスコラ学や
ローマ法が盛んに研究され、「教会では、
罪を犯した者は、神に罪を打ち明けて
悔い改めれば罪は洗い清められる。であれば、
悔い改めた真犯人は神判で無罪となるはずである」
神学者でありパリ大学教授のペトルス・カントール
は批判した。
ギリシャ哲学などの流入により、自然現象を
合理的に説明できるようになっていく。スコラ学は
こうした知見をもとに信仰と理性の合一を
はかったもので、理性による信仰を目指した。
1215年、ラテラン公会議において、
教皇は聖職者が神判に関わることを禁じた
(この会議で、ユダヤ人には特定の記章の着用が義務づけられ、
公職に就くことが禁止された。各地でユダヤ人は、土地所有を
禁じられ、手工業ギルドから閉め出され、厳しい職業制限を
受けたので、金融・古物商に従事するユダヤ人が増加してゆく)
日本では「盟神探湯(くがたち)」の他、
様々な「うけい」が行われている。
日本神話では、邇邇芸命に不義の疑いを
かけられたコノハナサクヤ姫が、
火中出産という神明裁判を受けている。
現在宮内庁では被葬者を特に定めずともに
陵墓参考地と治定し、女狭穂塚に木花開耶姫(コノハナサクヤ姫)、
男狭穂塚にその夫の瓊瓊杵尊を当てています。
地元では、〝俵野(ひょうの)〟の地名は
コノハナサクヤ姫が火中出産したことにちなみ
「火生野」が転じたものとされています。
シエラレオネやナイジェリアのカラバルでは、
アルカロイド(フィゾスチグミン)の毒をもった
カラバル豆の抽出液を飲ませ、生き残れば
無罪とする。この豆の毒素は無罪の自信が
あるものが一気に飲めば嘔吐反応が起きて
吐きだされて助かるが、心にやましいものを
持つものが恐る恐るゆっくり飲むと吸収されて
死に至るという性質を利用したものである(wiki)