gakushu - 中高_歴史_1650カテゴリのエントリ
(NHK20181207)
ドーバーの密約(1670):
イングランド議会(プロテスタント)と対立していた
国王チャールズ2世(カトリック)が、
独断でフランスから資金援助を受ける代わりに、
イングランドがフランス側で参戦する事を約束した。
この密約に則ってオランダ侵略戦争及び、
第3次英蘭戦争が開始された。
◆◆◆ 条約の主な内容 ◆◆◆
チャールズ2世とルイ14世の友好締結。
イングランド王のカトリックへの改宗の約束。
フランスがイングランドに資金及び兵士を援助する。
アーヘンの和約の遵守。
対オランダ戦争での英仏共闘。
対オランダ開戦決定はルイ14世が決める。
英国王と仏国王による秘密協定であったため、間もなく
この密約が発覚すると、イングランド国内は
反カトリックの機運が高まり、
続く国王の信仰自由宣言は国内を
混乱に陥らせる事となった(wiki)。
1670、ドーバーの密約
1672、王の改宗の障害を除くため、「信仰自由宣言」して罰則規定を廃案。
1677、チャールズ2世の弟の娘メアリ(未だプロテスタントのまま)が
オランダ総督家と結婚し、密約破綻。
1688、
メアリに王子が産まれ、今後もカトリック推進政策が見込まれたので、
英国議会はプロテスタントのメアリ招聘を決定、名誉革命。
王の権限は制限され(カトリック禁止)、
「権利の章典」により、議会政治が始まる。
2013、英国王位継承法が改定され、王妃ならばカトリックも可能に。
(NHK20190302)
(NHK20140717)
最後の大規模なヨーロッパ進撃作戦。
オーストリア初のコーヒーハウスの開店は、
トルコ軍によるウィーン包囲が契機となっています。
この戦闘でのある男の活躍が、ウィーンに
平和とコーヒーをもたらしたのです。
30万の軍隊を擁してウィーンを包囲しました。
ドイツ皇帝レオポルト1世とロレーヌ公国皇太子は
町から数マイル離れた場所に陣をはり、
町の内部には守備隊が留まってポーランド王国
からの援軍を待っていました。
連絡係を買って出たコルシツキー、トルコに
詳しい彼はトルコ人の服装をまとい、包囲網を突破。
結果トルコ軍は敗走し、
後にはさまざまな物品が残されました。
戦利品は分配されましたが、コーヒー豆を
欲しいという者は誰もいませんでした。
使い方を知らなかったのです。
ただ一人、コルシツキーが欲しいと申し出。
奇妙な豆が処分できるので、人々は喜んで
彼に功績の報奨として与えました。そして数日後、
ウィーン初のコーヒーハウスを開店したのです。
(ucc「コーヒー百科」)
(NHK20190302)
(NHK20170328)