gakushu - 中高_歴史_1800カテゴリのエントリ
(NHK20151204)
ベートーベン:34歳、円熟期
1804年に、交響曲第3番を発表したのを皮切りに、
その後10年間にわたって中期を代表する作品が
書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森と
呼ばれる時期となる。
その後、ピアニスト兼作曲家から、
完全に作曲専業へと移った。
(TV東京2017403)
(NHK20150124)
(NHK20160625)
【1815】
ナポレオンのエルバ島脱出、
100日天下。
【1830】
フランス7月革命。
1815年の王政復古で復活したブルボン朝は再び打倒された。
ウィーン体制により構築された正統主義は部分的に崩壊し、
ブルジョワジーの推すルイ・フィリップが王位に就いた。
その影響はヨーロッパ各地に波及し、ウィーン体制を揺るがせた。
とりわけ、旧貴族がフランス革命の際に被害を受けた城館(シャトー)
の代償のために10億フランの資金を国庫負担にする法律の制定は、
市民階級の不満を高めた。
国王は驚き、七月勅令の破棄と内閣総辞職を決めたが、時すでに遅かった。
ギロチンを怖れる国王シャルル10世は退位し、オーストリアに亡命。
後継政府には「国民王」ルイ・フィリップが立った。
ここにフランスは立憲君主制に移行した(7月王政)。
ブルボン家の支流であるオルレアン家のルイ・フィリップは
別名「株屋の王」であり「ブルジョワの王」であったため、
市民たるブルジョワジーの不満は急速に解消されていった。
ヴィクトル・ユーゴーによれば、
「フィリップ王はあらゆる階級の言葉に通じ、
それを常に話していた。最もよくブルジョワ(中流社会)を
代表した人物であったが、また一方でそれより抜きん出て
万事にそれよりも優れていた」という。
1793、父は共和国転覆の嫌疑で革命広場で処刑、スイスへ亡命し
教師になり米国移住し、ナポレオン失脚の1814に帰国。
詳細→YouTube: N I
1830、アルジェリア出兵、併合
1838、菓子戦争を起こしてメキシコ勝利
1840、ロンドン条約、アジア外交が列強に干渉される
1844、清国に不平等条約
1847、鎖国のインドシナに砲撃
1848、1846年以来の恐慌もあり「諸国民の春」革命で失脚
1848、フランス王政の終了(987年カペー朝)
(NHK20160324)
1826、シーボルト来日。異国文化がなかなか広まらない現状を憂い、
『薬品応手録』を出版し、コーヒーが健康食品であることを広めた。