gakushu - 中高_歴史_1800カテゴリのエントリ
(NHK20141107)
仙台・伊達藩の一門、
2万3千石の涌谷城主・伊達安芸の家臣、
花井安列による日記には1833-1847まで、
毎日の天候記事が書かれている。
天保7(1836)年はコメが
平年のわずか10%しか収穫できなかった。
花井安列の「天候日記」に注目すべき記述があった。
1835/04/04に、 「此節毎朝、日出赤く」と。
その前後の天候状況から、この朝焼けは
普段見られるようなものではないと判断できる。
火山噴火の資料によれば、その2ヶ月前の
1月20日に中米ニカラグアの コセグイナ火山が噴火している。
花井安列はこの噴火の事実を知らなかったはずだが、
噴煙でできた 連日の朝焼けを異常と感じて
記録に残したことは驚きである。
(NHK20140326)
(NHK20140224)
(NHK20141205)
イギリスでは骨粉が古くから肥料として用いられて来たが
やがてこれに硫酸を加えると肥効が上ることが発見され
燐酸肥料の工業的生産が始った.これが1840年の遇燐酸石灰
製造の始まりと言われる.その後骨粉の代りにグアノが使用され
過燐酸石灰工業は世界各国で大きな進歩を遂げた。
燐は細胞内で核酸核蛋白質レシチンフィチンとして存在し
原形質の主要部分の構成に不可欠の要素である.
(TV東京20180707)
サン=シモン伯爵(1760 - 1825)
フランスの社会主義思想家。
テクノクラシー(科学主義的専制支配)の父。
サン=シモンの教義の核心は、
富の生産を促進することが社会の重要な任務。
「50人の物理学者・科学者・技師・勤労者・船主・
商人・職工の不慮の死は取り返しがつかないが、
50人の王子・廷臣・大臣・高位の僧侶の空位は
容易に満たすことができる」
と発言し1819に告訴されている。
晩年は貧困に苦しみ、1823年に自殺を企てている。
サン=シモンの場合、資本家と労働者は等しく産業階級であり、
その対立は問題とされない。1810年代イギリスの労働者の反乱
であるラッダイト運動に着目はしているが、「資本の所有者は
その精神的優越によって、無産者に対して権力を獲得した」
との見解を持ち続けた。労働者は自ら自由を獲得すべき存在では
なく、使用者によって保護されるべき存在なのである。
サン=シモンはレッシングの『人類の教育』に感化され、
1819以降はキリスト教の道徳を産業社会に適用する方策を
夢想した。すなわち、新しいキリスト教は礼拝や形式から
脱却して、人間は互いに兄弟として行動し、富者は貧者を
救済すべきである、とする人道主義へと傾いた。 (wiki)
(TV東京201400111)