gakushu - 中高_歴史_1900カテゴリのエントリ
(NHK20141019)
1880年代のアメリカの証券引受は、個人銀行が中心だった。
1893年恐慌で、個人銀行が撤退し、3大生保が躍進。
1905、コングロマリット化しロシア皇帝にまで
3大生保の資金が及んだため、米国権益保全と
肥大化を続ける3大生保会社に行動制限を図るべく
法律が制定された。
結果的に3大生保が持っていた鉄道鉱山株はモルガンや
ロックフェラーに移り、結果的に全米資金がドイツ帝国
へ投下されてゆく。
1906、1月、ジャイコブ・シフ「もしアメリカ通貨制度が
改められなければ、遅かれ早かれ、これまでの恐慌があたかも
児戯にみえるようなとてつもない恐慌に見舞われるだろう」
1906、4月発生のサンフランシスコ地震復興のため、
NYから西海岸に資金が流れ始める
1906、7月から行政が鉄道運賃を設定できることとなり、
資本家の撤退で鉄道や鉱山株が急落
1907、自転車操業方式で金融界を成り上がるモースと
鉱山王ハインツが結託し銅会社の株価操作を
図ったが失敗、暴落。工作資金提供を断った
ニッカポッカ信託会社だったが主犯のふたりと
親睦があったことから取り付け騒ぎに発展、倒産。
1893恐慌で信頼を得ていたモルガンが音頭を取り、
モルガンが1000万ドル
連邦政府が国庫金を2500万、
ロックフェラーが1000万ドル(2020現在の300億円に相当)
を、「資金流動性を確保するため」出資した。
翌10/23木、さらに2000万ドルモルガンは用意し、
マスコミを前に「預けたままにしとけば収まるんだよ」
とコメント。
翌10/24金、さらに1000万ドル供給し破綻ゼロ。
翌週、2000万ドルないとNY市が破綻すると分かり、
モルガンのポケットマネーで3000万ドル市債購入。
ようやく市場は落ち着き始めた。
のちに連邦準備銀行設立へとつながってゆく。
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(TV朝日20150104)
大日本帝国は日露戦争の際、クーン・ローブから戦費を調達した。
日本政府が日英同盟を根拠にして
日露戦争の日本公債をイギリス・ロンドンで販売した際、
当時世界最大の石油産出量を誇っていた
カスピ海のバクー油田の利権を持つ
ロスチャイルド家は購入を拒否。その代わり
同家は行動を共にするジェイコブ・シフを紹介した。
1850年代アブラハム・クーンと
ソロモン・ローブで、1867、クーン・ローブ商会(金融財閥)設立。
クーン家の娘とローブ家が結婚して一族に。
その娘と結婚したのが、ジェイコブシフ。
シフはフランクフルトのゲットーで
ロスチャイルド家と共に住んでいた。
1870年代以降、クーン=ローブ商会は、
今日でいうベンチャーキャピタルとして、
当時の鉄道事業に積極的に投資し、
モルガン財閥と競争を繰り広げた。
詳細→YouTube:はささは
旅順攻略の指揮:乃木希典 陸軍大将
満州へのアメリカ進出を警戒した日露両国は次第に接近した。
1907、
日露両国は第一次日露協約を締結し、
相互の権益を保全するという合意を締結した。
以降、日露関係はほとんど同盟状態に近いものとなった。
しかし、ロシア革命の勃発によってこの関係は崩壊。(wiki)
詳細→YouTube: 動画工房
(日テレ20140228)