gakushu - 中高_歴史_1910カテゴリのエントリ
(NHK20151025)
1916、独では、冬に入ると。ジャガイモどころかカブしか手に入らなくなった。
1917、3月にソ連革命が起きると、ドイツ労働者階級に波及、職場放棄が増加。
1918、1月、米国ウィルソン大統領が講和を提案、独政府も呼応。
1918、新年を迎えると100万人レベルでデモが激増、
反戦者の徴兵強化し硬直化、
独軍最高司令官により独政府外相は辞任される
1918、7月、起死回生のパリ進撃も連合軍の反撃始まる
1918、9月、ハンガリ・オーストリア・ブルガリアが、講和受入れ表明
1918、10/03、皇帝御前会議にて軍部独裁終了し新政府樹立。
10/23、米国が独皇帝退位要求し、それを皇帝は拒否。
10/29、独海軍が英国へ出撃命令、1000人が出兵拒否し逮捕
11/03、釈放を求めた労働者が、警察の発砲をキッカケに民衆蜂起へ。
11/04、キール軍港は「赤旗を掲げた評議会」に制圧される。
11/07、「評議会」が西ドイツを制圧。バイエルン革命で王退位。
11/10、「評議会」が全土制圧、皇帝は亡命。
11/10、ソ連型革命への回避のため、社会民主党が共和国建国宣言
11/11、第一次世界大戦終結
背後の一突きを描いたオーストリアの絵はがき ( 1919 )
バイエルン革命では、評議会からユダヤ人アイスナーが
首相になったこともあって、「ドイツが負けたのはユダヤのせい」
という噂が、ドイツ国内で長い間広まることとなった。
1919、4月、
無政府状態になっていたバイエルンで ロシア出身者が革命政府樹立を宣言、
モスクワに高く評価された。この時のミュンヘン「評議会」代表代理がヒトラー。
捕虜殺害から市街戦に発展、共産政府倒壊し、反革命軍による軍政へ移行した。
9月、バイエルン軍創設のミュンヘン大学で「最終目的はユダヤ人の完全な排除」
と述べたヒトラーは1月に結成されていた労働者党に勧誘され入党した(wiki)。
(NHK20190202)
(TV東京20170528)
(NHK20190101)
(NHK20190111)