gakushu - 最新エントリー
(TV東京20131229)
1560年、確認できる世界最古の「逆あがり」オランダ
(NHK20150408)
(TV東京20140211)
911、
バイキングの侵攻に悩む西フランク王シャルル単純王が
キリスト教への改宗と臣従を条件に領地として与えたことに始まる。
海上交易の繁栄を背景とした強力な領邦権力として確立された。
1002、
イングランド王は、デーン人に対抗するべく
ノルマンディー王の姉妹エマと結婚、連携強化。
1016、
デーン人英国に侵攻
→デンマーク・ノルウェー・イングランド複合王国(北海帝国)誕生。
1035、
ノルマンディー王がエルサレム巡礼先で死去すると、
幼年で征服王が即位し、諸侯が反乱。
これに仏アンジュー伯が介入。
征服王がフランドル伯の娘と結婚、同盟強化。
フランスで三つ巴の勢力争いが生まれる。
1066、
イングランド王の継承争い。
北海帝国のノルウェーやノルマンディー征服王が
イングランド侵攻。ノルウェーは敗退するも、
ノルマン軍の偽装後退に堅牢なイングランド軍の
戦線が崩壊、アングロサクソン系が征服された。
(ノルマン・コンクエスト)
1077、
英国、王族家族の一家団欒、
サイコロ遊びの最中にウンコ事件 →相続争いへ
詳細→YouTube:ゆっくり歴史解説
「イングランド征服王」ウィリアム1世には3人の息子。(次男は早逝)
長男の「ロベール」には「ノルマンディー公国」。
三男の「ウィリアム」には「イングランド王国」。
長男が「ノルマンディー公国」を継承しているのを見ても、
ウィリアム1世にとって、あくまでも自分の本拠地は「ノルマンディー公国」。
「イングランド王国」は広大といえども、単なる植民地・・・。
こんな認識であったろうと思われます。
1087、ウィリアム1世がノルマンディー公国で危篤に陥ると、
三男の「ウィリアム」は大急ぎで海を渡ってロンドンへ向かい、
ウェストミンスター寺院で戴冠式を挙行。
「ウィリアム2世」としてイングランド国王に即位します。
公的な場での英語の復活は十四世紀後半以降のこととなった。
(NHK20140226)