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(TBS20190512)
交易権をめぐる経済戦争という側面 :
弟からしてみれば、父の六代将軍である義教は暗殺されているし、
将軍になることが良いことのようにも思えない。だから
「義政兄さんはまだ若いから、子どもができるかもしれない。
もし息子ができた場合、自分がいたらどうせ邪魔にされる
だろうからイヤだ」と、断りました。しかし、義政は、
「大丈夫だ。どんなことがあってもお前を後援するから、
還俗して自分の跡を継いでくれ」と言う。
そこまで言われるのなら仕方がないと、還俗し、
足利義視 (一四三九~一四九一年)と名乗るように。
ところが、人生とは皮肉なものです。そんな話をした翌年、
足利義政の妻である日野富子が息子を産んでしまいます。
それでも、八代将軍の義政は「息子は生まれたものの、
弟と約束している以上、将軍職は予定通り弟に譲る」と
考えていました。還俗した義視の立場からすれば、
「あれだけ強く約束したのだから、息子が生まれた
からといって、約束を反故にするのは勘弁してくれ」
と主張するのは当然です。でも、日野富子にしてみれば・・・
瀬戸内海の交易は当時非常に盛んでしたので、
これを押さえれば、豊かな富が手に入ります。
瀬戸内海交易の延長線上には、
日明貿易の利権もあります。明との交易は
将軍の名がないとできません。自分が幕府の
実権を握って将軍を自在に操れれば、
日明貿易も手中に収めることができます。
そこで、細川と山名は、瀬戸内海沿岸
にどれだけ自分の拠点が築けるかを争います。
室町時代の公家万里小路時房の日記
『建内記(建聖院内府記)』
1447年5月5日、
浄華院における法事の後に境内にて、
唐人が(花火と考えられる)「風流事」を行った。
そこでは、竹で枠を作り、火で「薄・桔梗・仙翁花・水車」
などの形を表現したもの、火が縄を伝って行き来する
といったものや、「鼠」と称し火を付けると「走廻」るもの、
手に持って火を付けると空中を「流星」のように飛ぶもの、
などが披露されたという。
時房は「希代之火術也」と賞賛し、褒美を与えている。
この時代は足利義満の死後途絶えていた日明貿易が
足利義教によって再開されており、花火も
大陸から持ち込まれていたとも考えられる(wiki)
(NHK20190406)
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(NHK20150826)