「勉強なされい」(吉田松陰:大河ドラマ花燃ゆ)

gakushu - 最新エントリー

1683、トルコがウィーン包囲

   2019-5-18 12:25  

(NHK20140717)



最後の大規模なヨーロッパ進撃作戦。

オーストリア初のコーヒーハウスの開店は、
トルコ軍によるウィーン包囲が契機となっています。
この戦闘でのある男の活躍が、ウィーンに
平和とコーヒーをもたらしたのです。


30万の軍隊を擁してウィーンを包囲しました。
ドイツ皇帝レオポルト1世とロレーヌ公国皇太子は
町から数マイル離れた場所に陣をはり、
町の内部には守備隊が留まってポーランド王国
からの援軍を待っていました。


連絡係を買って出たコルシツキー、トルコに
詳しい彼はトルコ人の服装をまとい、
包囲網を突破。



結果トルコ軍は敗走し、
後にはさまざまな物品が残されました。

戦利品は分配されましたが、コーヒー豆を
欲しいという者は誰もいませんでした。
使い方を知らなかったのです。



 

ただ一人、コルシツキーが欲しいと申し出。
奇妙な豆が処分できるので、人々は喜んで
彼に功績の報奨として与えました。そして数日後、
ウィーン初のコーヒーハウスを開店したのです。
(ucc「コーヒー百科」)


 

(NHK20120405)

 

神田上水路を幕府が天下普請で拡張させ「仙台掘」に。
1616、手掘りでお茶の水を開削

1620、御茶ノ水の開削完了
1661、改良工事完成、船の航行が可能となる(仙台藩担当)

 

明暦の大火(1657)以降、
分散していた青物市が神田に集約。




(NHK20180325)



 

(NHK20180602)



 

 

13世紀末,封建社会は全盛期を迎え,
封建地代は高水準に達し生産効率を無視し,
周辺地までが開墾され,これを耕作するため,
人口は最大限までに膨張した。


しかし,生産力ぎりぎりまで伸びているため,
ちょっとした天候不順や不作でも,大規模な飢饉の原因となった。
(立命館名誉教授:瀬原義生)

 

 

 

『ヘンゼルとグレーテル』:
グリム童話に収録されている作品。

長く続いた飢饉で困った親が
口減らしのために子捨てをする話。
中世ヨーロッパの大飢饉(1315年から1317年)
の記憶を伝える話と言われる。

  

詳細→YouTube:Paramount

 

 

 

1315年のヨーロッパは農作物の生産能力
に比して人口過剰の状態にあった。

 

1328年国勢調査ではkm2あたり50-70人、
これは今日の農村部の密度より高い。
17世紀のルイ14世の時代よりも多かった。

 

1316年、英国で小麦が6倍に高騰。人口5%減。
1333年、スペイン・ポルトガルも飢饉。
1347年、イタリアでも農民が穀物倉を襲った。
ジョルジュ・ミノワ「中世の歴史」

 

(NHK20180130)



 

 

 1851年、薩摩藩に日本最初の本格的洋式工場「集成館事業

(NHK20180313)



 

ログイン
ユーザー名:

パスワード:


SSL パスワード紛失

サイト内検索